大学院留学最初のセメスター その6

2011-09-30

CATEGORIES 大学院留学最初のセメスター, 自己紹介by.Katsurayama2 Comments

(2011年9月19日のブログ投稿「大学院留学最初のセメスター その5」の続きです。)


留学中の授業への対処方法をこれまでいろいろと書いてきましたが、私自身すぐに教授やクラスメートが言っていることが分かるようになったり、自分の意見を発言できるようになったわけではありません。

大学院留学最初のセメスターでは、学期の真ん中ぐらいから、以前よりも少しずつ対応できるようになっていきました。


ただ、学生同士のグループでのディスカッションをしないクラスでは、自分の意見を述べるには、自ら手を挙げて発言しなければなりません。

大学院留学一番最初のクラスであった、ロシア人女性教授のクラスでは、グループワークは行わず、私が授業中に発言できたのは、セメスターの終わり近くになった時でした。


そのクラスは、クラス内での発言が成績の評価の10%を占めました。

100点満点の10点中、私がもらったのはたったの2点。
(セメスターの最後の方で発言するようにならなければ、おそらく0点だったのでしょう。厳しい評価です。)


このクラスでは学期末のプロジェクトとして、リサーチの結果のプレゼンテーションとペーパーの提出が求められました。

面白いリサーチトピックが見つかった私は、このクラスのリサーチに優先的に取り組むことにしました。
(その結果、別のクラスのペーパーに時間をかけられなくなりましたが。)


このクラスの授業中、ほとんど発言できませんでしたが、リサーチのプレゼンテーションとペーパーに対して、教授からクラスでトップレベルの評価をもらい、自信を深められたことにより、次のセメスターではクラスに積極的に参加できるようになりました。


成績はよくなかったものの、なんとか大学院留学最初のセメスターが終了し、夏休みに突入します。


夏休みの6、7、8月、夏季に開講しているクラスを取らずに、毎日大学の事務局のバイトをすることにしました。

バイトは1日5、6時間くらい。
一時帰国と旅行のそれぞれ1週間くらいの期間以外の平日は、バイトに行っていました。


夏休みは、人の出入りや電話も少なかったのですが、半年以上バイトを続けていると仕事にもかなり慣れてきました。


授業とは異なり、バイトには何の準備もなく時間的余裕があったので、同じバイト仲間のアメリカ人大学生に誘われ、Japan Clubというサークルの活動を少し手伝うことに。

Japan Clubでは中心で活動するメンバーではありませんでしたが、フィラデルフィアの地元中学校を訪れ、講堂に集まった中学生たちを前に、日本文化紹介プレゼンの一員として手伝ったりしていました。


相撲を紹介するプレゼンの後、中学生から「相撲は八百長(fixed)じゃないのか」という質問がありました。


(両国生まれ、両国育ち、実家から歩いて30秒のところに相撲部屋がある)私からの回答は


「力士同士はお互いによく知っており、お互いの地位維持のために、中には八百長が行われることもあるが、ほとんどはそうではない。」


その回答に対して、アメリカ人のプレゼン・パートナーには「八百長はないし、そのようなことは言うべきではない」と怒られました。

(後に、私の発言は正しかったと社会的に証明されることになりますが、振り返ってみて、アメリカ人の中学生たちに言うべきこともでもなかったと反省しています。)


このJapan Clubでの活動が縁で、秋学期からテンプル大学の日本語クラスのTeaching Assistant(TA)の仕事のお話をいただくことになります。


これにより、2回目のセメスターである2001年の秋学期は、3つのクラスに加え、日本語クラスのTAの仕事が週に3回くらい入りました。


日本語初級クラスの日本人TAは3人。

初級クラスではTAそれぞれが小さなクラス(10人くらい)をもち、日本語での会話パターンの訓練を行う。
授業ではできるだけ日本語を使うことが求められてはいましたが、文法等に関して英語で説明することも多くありました。


また25名くらいの中級クラスでは、他の日本人TAの方とチームティーチングで会話パターンのデモや説明をしました。

他に日本語教授のクラスを何回も見学させてもらったりと、貴重な経験をすることができました。


また、事務局の受付バイトも秋学期終了まで、週に1回、3−4時間ほど続けました。

この頃になるとバイト仲間の中で、私の方が古株になり、必然的に電話も率先して取るようになりました。


2001年9月に秋学期を迎えたばかりの私が、自分の英語力に対してブレイクスルーを感じた出来事がありました。


「大学院留学最初のセメスター その1」
で書いた、私に衝撃を与えた、移民に英語をボランティアで教える団体のディレクターが、再びロシア人教授に招かれ、新たなクラスにやって来ました。

その人に会うのは、1月以来。
8ヶ月前、何を話しているのかほとんど理解できず、私に強烈なショックを与えた因縁の相手です。


ところが今度は、彼が話してることがほぼ全部分かりました。

それまでの8ヶ月で自分の聞き取り力が向上していることを実感。
体が震えるくらい感動したのを覚えています。


幸先の良いスタートに乗せられてか、2回目のセメスターは過酷であった1回目のセメスターとは異なり、非常に楽しいものとなりました。

授業以外に日本語クラスのTA、事務局でのバイトとやることが多かったセメスターでしたが、以前に書いた手抜き作成が功を奏し、クラスでの発言も多くなり、すべてのクラスでAを取ることができました。


この「大学院留学最初のセメスター」の連載を始めて、コメント欄やメールで、留学を開始したばかりの方々から、自らが経験している辛い日々の報告をいくつもいただきました。

(ブログを始めて2年半以上経ちますが、こんなに反響があったのは初めてです。)
それだけ多くの方が過酷な日々を送っていらっしゃるのでしょう。


何事も始めたばかりのときは上手くいかないものです。

落ち込む気持ちはよーく分かります。
でも安心して下さい。
その厳しさは今後ずっと続くわけではありません。


留学は、それまで積み上げてきたものを脇におき、丸腰で新たなスタートがきれる人生の貴重な機会です。

「どん底に突き落とされて落ち込む」「プライドがズタズタにされる」ような経験は、人生においてそうないはずです。


自分を一から見直し、新たな自分を形成するチャンスと考えましょう。


忙しくも楽しかった2回目のセメスターの後、TESOL(英語教授法)プログラムを終了する前に日本に帰国することになります。

(帰国後、日本のテンプル大学のTESOLプログラムに戻り、そこで終了しました。)


私の留学期間は1年3ヶ月ほど。

帰国の際、もっと長く滞在できれば、自分の英語力をさらに伸ばせる確信はあったのですが、やりたいと思ったことは何でもやった期間ではあったので、十分に達成感を感じて帰国することができました。


厳しい現実にさらされていると、その先にある希望が見えなくなってしまうことはよくあります。

耐えられないくらい辛かったら、少し逃げてもいいでしょう。
(実際に私も逃げましたが...)


でもまた戻ってくれば、毎日少しずつでも得るものがあります。

そこにとどまり続ければ、必ず成長していきます。
辞めたい気持ちを上手く誤魔化しながら、希望を失わないようにしましょう。


苦労が報われる日は必ずやってきます。


「大学院留学最初のセメスター」シリーズはこれで終わります。

近々、留学中にListening力やSpeaking力を向上させる方法について書きます。

コメント
  1. Kiyo より:

    いつもブログを読んでいます元受講生です。今イギリスに交換留学しているのですが先生ご自身の体験談はとても励みになります。留学が始まって一ヶ月以上が経ちましたが、自分の英語力に愕然としています。特にlisteningとspeakingが非常に低いことを毎日痛感しています。次回の留学中のspeaking、listening向上方法の記事を心から楽しみにしています。

  2. Katsurayama より:

    Kiyoさん

    お久しぶりです。
    一連の投稿で書きましたが、最初は過酷なものです。
    ただそこにとどまり続ければ、必ず慣れてきます。

    留学中でのSpeaking & Listening力向上方法の投稿は近々書きますので、もう少しお待ちください。
    ただKiyoさんなりに、英語をできるだけ多く話す&聞く環境をどう作るかを考え、行動しましょう。

    Katsurayama

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